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きのこ王国・長野県中野市の[えのきたけ栽培の歴史]
中野市でえのきたけ栽培が始まってにもうすぐ70年。全国屈指の生産量を誇る一大産地へと成長した背景に迫ります。
農家の副業から産業に発展
中野市でえのきたけ栽培が始まったのは1957年。冬の農閑期の出稼ぎに変わる副業として普及し、その後、専業で行う農家が増えていきます。
当時のえのきたけ栽培は、秋冬の寒冷な季節に行われ、春に出荷されていました。冬季は栽培室の加温に練炭を用いるなど、温度と湿度の調整が難しく、品質や収量が不安定でした。
1960年代に入ると、「冷房栽培」が考案され、中野市でも導入が進みます。栽培環境が劇的に改善されたことで、品質が安定し、周年栽培も可能に。さらに、栽培工程の機械化も進みます。
栽培技術と生産効率が向上
しかし、当時は、種菌の育成から培養、生育まで行う“一貫生産”だったため、雑菌に弱い種菌を扱う難しい作業は、生産者にとって大きな負担となっていました。
そこで、優良な種菌の増殖と配布を目的に、JA中野市が中心となり1970年に「種菌センター」を設置します。90年代には「大型培養センター」も設置し、中野市内で分業方式を確立します。これらの専門施設によって、生産者は生育に集中できるようになり、品質や収量が飛躍的に向上します。
近年では、栽培工場の大型化や最新技術の導入よって、生産量は全国シェア40%近くを占めるまでになりました。他にも、ぶなしめじ、エリンギ、なめこをはじめ、黒あわび茸やバイリングなど珍しいきのこも生産され、一大きのこ王国を築いています。
紙面では、さらに詳しく解説中!こちらからお読みいただけます↓
https://nakano-kinoko.com/wp-content/uploads/spring_2025.pdf
現在の「えのきたけ栽培」の様子は動画でチェック!
https://www.youtube.com/watch?v=dlP3Keg9fpo